不完全の作品
小説にしても、映画にしても、芸術自体は不完全なものだろう。それは元々そのものを作成しているのは不完全な人間なのだろう。人間の主体の基礎は不完全さである。キリスト教ではその不完全さの原因になったのは人間が楽園から追放されたからである。でも、シリンとかシリアのキリスト教神秘主義によると、楽園追放は実際人間が自分で世界を探検しながら、自分自身を向上させる意味を持っているそうである。楽園の時、あって、失ってしまうことは人間を不完全にされたが、それこそに人間はいつも自分にも何のためわからいまま探す旅にいく。
でも、不完全さは人間が作られた作品の魅力の一つではないだろうか。これこそは作品を読解すれば読解するほど、面白くなるのではいかと? その失点、短所、欠点を一点一点を見出しながら、作品の良さをわかるようになる。間違いなく、失点には作品の本物の価値が隠されていると思う。もしかしたら、作家の意図とぜんぜんずれてしまうものであるとしても、実際、ずれて、離れて、全然違うものになってしまう結果は何かの新しい意味を入れ込むのはないかと考える。
分析者は貴石のように散らかっている要素を集まって、意味を探求できると思う。